暑くもなく寒くもない。
肌にかすかに感じる陽光の暖かさについ眠気を誘われる。
何をする気にもなれず、かといって何かしなくてはならない事があるわけでもなく。
こんな日は、恋人と一緒にゴロゴロするのが一番有意義ではないかと、
当の恋人の都合も聞かず、桜澤はかの家の呼び鈴を鳴らす。
「サクラか、どしたん?」
ちょっと期待はずれの恋人の対応に、「ヒマだし」と、無愛想に答えてみる。
「そんな顔せんと、上がり」
自分の心の内を、その態度から既に推した恋人が笑いながら言う。
「どうぞ」と中に招く恋人が身体をひるがえしたとき、
桜澤はほのかに漂う甘い香りに気がついた。
何だろう? 知ってる香りだよな?
招き入れられたリビングのテーブルには、
午後一杯恋人が読む予定である何冊かの本が積まれていた。
その本の横に恋人のイメージとは繋がらないものを見つけ、思わず呟く。
「ティーカップ?」
「あぁ、紅茶飲んでてん。」
「・・・・・・・・・」
「何や、その点々は。 俺、結構好きなんや、紅茶。香りとかええやろ?
砂糖入れへんでも甘いのなんかもあるし。
疲れたときなんかそんなん飲んでほっこりするんや」
「じじくせ」
「うっさいな! 喉のためってのもあんの! ほれ、お茶は喉にええって言うやろ?
それとも何か?
サクラは俺が湯のみ茶碗で茶〜啜ってる姿でもここで見たかったんか!」
「それは勘弁だな」
「それみ! 紅茶で何の文句があんねん。それにな、
紅茶は気管支広げてくれよるから喉が疲れたときなんかにもええんや!」
「へぇ〜〜」と感心すると、
「俺、ヴォ〜カルやし〜、歌姫やし〜」と、何だかズレた自慢の仕方をされた。
「にしても紅茶ってこんないい香りするんだな。」
「お前が飲んでるティーパック5袋入り390円とはわけが違うしな」
「俺、紅茶なんか飲まねーし」
「あぁ、お前には事務所で出る一度に10人分無理矢理抽出した
こげ茶色の色つき水で充分や」
・・・・・・・それってコーヒーのことか?
恋人は、自分の嗜好にケチをつけられたことと、
午後の読書時間を先延ばしにされたことが、まだ面白くないらしい。
「そんなに言うなら飲ませろよ」
「あぁ、サクラにぴったりなんがあるしな」
思いのほか素直に恋人はそう返事をすると、さっさとキッチンに立ち、
新しいポットにミネラルウォータを注ぎ火にかけた。
どうしてそこに出てるもの使わないのかと聞くと、
「俺が飲んでたのとは違うし。 大体香りも折角の味も混ざるやろ〜」
と、さらりと言われた。
見ると何やら茶器らしき小道具がキッチンには並んでいる。
サクラからすれば無駄な動作にしかとれない所作を、
恋人は慣れた手つきでこなし、サクラのために一杯の紅茶を煎れてきた。
それは果物のような、花のような、何とも言えない甘い香り。
口にすると、砂糖も入れていないのに、ほのかな甘さが口中に広がった。
「嘘、美味い!」
「せやろ」
「hydeが飲んでるのもいい香りするよな。 どっかで知ってる香りなんだけどさ」
「サクラや」
「は?」
「サクラ インペリアル。 マリアージュ フレールのサクラ インペリアル」
それが紅茶の専門店名とお茶の名前であると気づくのにしばらくかかった。
「サクラ飲んで、午後まったりしようかな〜なんてな。
あ、こっちも飲んでみる? 俺、煎れ直すし」
ど〜しよう、可愛いすぎる・・・・。
桜澤ビジョンでは、もはや恋人は、紅茶を入れるのが得意で、
自分の大好きな紅茶をにっこりと微笑みながら小首を傾げて
「もう一杯いかが?」
と勧める真っ白いフリフリエプロンをした(実際にはエプロンなどしてないが)
可愛らしい姿としか映っていない。
おまけに、「お茶受けはわ・た・し」などという妄想までし始める始末。
いやいやいやいやいけない。
いつもこうやって一人で突っ走ってチャンスをふいにするんだ。
落ち着けよ、俺。
と・兎に角キッチンに行かせることを阻止しよう。
「あ、でももうミネラルウォーターないんだろ?」
少し苦しい言い訳かなとか、
折角恋人が勧めてくれた好意を無駄にしてしまったのではとか、
普段の桜澤では考えられない消極的な思考で、
ワキワキ勝手に動く指を押さえつけながら言うと、恋人は大きな目を少し見開き、
それからとろけるように微笑み、テーブル越しに桜澤へ顔を近づけると言った。
「せやったらしゃ〜ないな。俺のを少しあげる」
恋人から桜の香りのする接吻を受けながら、こ・これは、
「お茶受けはわ・た・し」のコースかと慎重に恋人の頭に手を添えると、
恋人はすっと目を細めた。
後は、二人の口の中でブレンドされた紅茶が、
官能的な香りと味覚で、午後の二人の時間を有意義なものへとしてくれるはず。
「ミネラルウォーターなんかな、
冷蔵庫にたくさんストックされてるに決まってるやないか。
紅茶好きがミネラルウォーター切らすかいな、ぼけぇ〜」
と、可愛い恋人が思っていたことを桜澤は知る由も無い。
補足
ちなみにサクラさんが飲んでるのは、『エロス』です。
補足トリビア
ここには『ANIS』というのもありますが、