それから櫻澤が、双子の自宅マンションの地下駐車場に車を停めたのは、
途中思わぬ渋滞に見舞われたため、
正午の帰宅予定時間を1時間ほど過ぎた頃であった。
櫻澤ははもう一度バックミラーで後部座席を確認した。
「秀、着いたよ。 ほら、起きて」
鏡の中では秀人が、自分の膝の上ですっかり眠り込んでいる
秀の身体を優しく揺すって起こしているところだった。
帰路の途中で秀が秀人にもたれて眠り始めたのを
最初に気づいたのは、秀人より櫻澤のほうだった。
車中では、秀人と今取り掛かっている盆栽の植え替えや
植え付け角度の話で盛り上がった。
話の内容に全く興味のない秀は、
些か酷であった環境で体験した初めてのキャンプの疲れと、
これで家に帰れるんだという安堵感で一気に眠気に襲われた。
最近行った『盆栽大観展』で素晴らしい作品に出会い、
幸運なことにその作者と短い間だが、
いろいろと興味深い話をすることができたのだと話す秀人の横で、
目がとろんとしている秀をミラー越しに見て櫻澤は思わず微笑んだ。
口が悪くて面倒くさい子供だが、虫が怖いなんて意外に
可愛いところがあるじゃないか。
秀は完全に目を瞑り、少し口元が半開きになっている。
性格は可愛くなくても寝顔は可愛いもんだと思った。
と、その秀の顔に突然真顔な秀人が被ると、
鏡の中で櫻澤と一瞬だけ目を合わせた。
一瞬だけだが目を合わせた秀人は、
自分に寄りかかっている秀の頭を膝に抱えると、
半寝ながらシートに脚を上げ楽な体勢で眠り始めた秀に、
車内の冷房で秀が身体を冷やさないようにと、
畳んでおいてあったタオルを秀の頭から掛けた。
そして今、秀を起こそうとしている秀人の膝上で眠っている秀の寝顔は、
やっぱりタオルが掛かっていて櫻澤には見えない。
もう一度秀の間抜けな寝顔を見てやろうと思っていた櫻澤は、
振り返ったところでタオルに埋もれて見えなくなったままの秀の
寝顔を諦めて、
トランクから双子のキャンプ用品を運び出そうと車外に出た。
櫻澤が車外に出ると、秀人はタオルを取り払い、
「いつまで人の膝の上で寝てるのさ」と、
秀の顔をペチペチ叩きながら秀を起こし始めた。
なんだか釈然としないなぁと思いながら、
荷物を全て運び出したところで目を覚ました秀が、眠そうに秀人と車から出てきた。
「やっと起きたね秀君。 さて、荷物を部屋まで運ぼうか」
「あ、それ」
声を上げたのは秀人である。
秀人は話しかけでマンション入口の駐車場扉にもたれている秀を見た。
秀は少し首を傾げただけだったが、それを確認すると秀人は振り返り、
櫻澤に答えた。
「櫻澤さんに差し上げます。 僕らよりも上手に使って貰えるでしょう?」
「え! だけど、こんな新品で折角揃えたのに(予想総額30万)」
「ええ、でも僕たちきっともうキャンプには行かないと思います。
どうぜ使わないのなら櫻澤さんに使ってもらったほうがいいですから」
「秀人、早く行こうよ。 俺、腹が減った」
秀が扉を拳で軽く叩きながら催促気味に言う。
「もう一度車に積み直しますね」
「いや、いいよ。 こんなに頂いた挙げ句に手を煩わせるのは申し訳ない。
そういうことなら遠慮なく頂くけど、本当にいいのかい?」
「ええ、こちらこそ、楽しい経験をさせていただいてありがとうございました」
「秀人! 早く行こうったら、櫻澤さんが自分のものを勝手に出して
勝手にしまうんだからいーじゃないか。
ナナさん待ってるよ。俺、腹が減ったんだからっ」
・・・・・クソガキ。
私に遠慮しないで行ってくれたまえというジェスチャーで
櫻澤は秀人には微笑みながら、秀には心の中で悪態をついた。
まったく可愛げがない子供だ。
虫のことといい、コーヒーの件といいちょっとは可愛いところもあると思ったのに、
可愛いのは秀人君と同じ顔だけだ。
秀人は申し訳なさそうな表情で櫻澤に会釈をし、
駐車場出口に立って待っている秀のほうへと歩いていく。
こうして見るとまだ男としての身体というより、
少年と言ったほうが良いような華奢な身体つきだ。
「僕、秀とほとんど同じサイズです」
秀人の後姿を見ていて、彼の言葉を思い出した。
・・・・・まてよ。
ということはアレだ。
あの日、地下鉄で痴漢されていた秀人君の反応があんまりにもウブで、
思わず自分も便乗して触っちゃったりして、
女性よりも腰なんか華奢で抱き心地がいいなぁなんて思っていたんだけど、
秀君もおんなじ身体というわけか。
少し口元が緩んだ。多分鼻の下も伸びていた。
気づいたら出口扉の前で秀人が怪訝そうに櫻澤のことを見ていた。
秀の姿はすでに見えなかった。
緩んだ口元を引きなおし、にっこり微笑んで秀人に手を振った。
秀人もにっこり笑ってお辞儀をすると姿を消した。
もうあと5年ほど育ったくらいが私は好みだがね。
成長過程を楽しむのも面白いかもしれないなぁ。
さて、今日のナナさんの夕飯はなんなのだろうね?
彼女はまた君らに聞くのだろう?
「おかえりなさい子猫ちゃんたち。 楽しかったかしら?」
「私は、うん、まぁ楽しかったな。
今度はどんな理由であの子たちと会おうかな」
櫻澤はキャンプでの様々なことを思い出しながら、
(とりわけ、月光の中で川遊びをする双子の青白く光る裸体は最高だった)
再び口元を緩ませながら取り出したキャンプ用品を積みなおした。
終
08.01.28