ぼくの夏休み  灰×灰シリーズ 


「ジャケット、お借りしたままですみませんでした。 ジャケットのことは気に
しなくていいと
おっしゃっていたので、まさか自宅にまで取りにきていただけ
るとは思ってもみませんで
した。お返しするのが遅くなり申し訳ありません」 
 
後ろで秀人が秀の服を引っ張る。
馬鹿5人衆は一斉に宿題の消化作業に戻った。
ジャケットを丁寧に紙袋に入れ直していたナナさんが怒った声で言う。
 
「しゅうちゃん! 櫻澤さんをお招きしたのは私なのよ。 
クリーニングを取りにいったら胸
ポケットに名刺入れが入っていたので
ご連絡を取らせていただいたの」
「たまたま用事で近くまで来ていたんですよ」
 
申し訳なさそうな顔だが、何もそこまでトゲトゲと言うこともないだろう
という表情を一瞬だけ浮かべた男の名前は、どうやら「櫻澤」と言うらしい。
 
「ふ〜ん。 で、荷物持ってもらう代わりに昼食でもどうぞって
家に入れるなんて、ナナさん!
いくらなんでも初対面の人に警戒心なさすぎなんじゃないのっ!」
 
ナナさんは少しそういうところがある。
よく言えば大らかですぐ人のことを信用する。
悪く言えば世間知らずのお嬢様育ち。 
しかし、「子猫ちゃんたちに親切にしてくれた → いい人」
という図式は、ナナの確固たる信念のもと一度も揺らいだことがない。
 
おまけにこの櫻澤は、世間一般で言う割と「イイ男」である。
 
「いいじゃないの。 家にはひでちゃんもしゅうちゃんもいるんだし。 
お友達だって
今日はたくさんいらっしゃってるんだから。 
たくさん作って大勢で食べたほうが
ご飯だっておいしいのよ」
「そういう問題じゃないでしょ〜」
 
ナナさんの「食べることについての主観」をくつがえせるわけがない。
彼には昼食前に早々に自らお引き取り願ったほうがスムーズに事が運ぶ。
 
秀がある程度オブラードに包んだ、
「即刻帰れ。嫌なことを思い出してまでアンタと飯を喰う理由はこちらにはない」
という意味を有する台詞を用意し男に振り向くと、

男は秀人と一緒に部屋の一角に移動中だった。
向かった先は、秀人ご自慢の盆栽棚である。
秀人の大事な盆栽たちは夏の強烈な日差しを避けるため、
日中のこの時間は室内に入れてある。
嫌な展開に秀は慌てて二人の後を追おうとしたのだが、
ナナに食材を冷蔵庫に入れてくれと引き留められてしまった。
 
「よく手入れされてるね。 お父様のご趣味かい? お祖父様?」
「父は盆栽に手を掛けれるほどの暇はありません。 
これは他界した祖父が大切にしていたものを
僕とナナさんが見よう見真似で
世話をしているだけです」

「素晴らしい。 見よう見真似で盆栽の芽切りや葉透かしはできないでしょ?
こっちの小さいのは?」
「あぁ、これは祖父の鉢からこぼれたものを僕が植え替えただけです」

二人の会話に聞き耳を立てながら秀は庫内に食材を運ぶ。
級友5人は、この家でいつも見ていた盆栽が
秀人の手に依るものだということを初めて聞いたようで驚愕の面持ちをしていた。
無理もない。

「最近はこういう小さな盆栽が流行っているんだよね」
「お詳しいですね。 
祖父のものは枝の剪定や配置、幹の形を整えるのに一苦労しますし、
祖父が目指した意図を崩さぬようにと緊張もしますが、
こちらはほんのインテリア感覚でやっているだけのことですので、
気楽に好きなようにできて楽しいです。
なにより可愛らしいのが気に入っています」

「気楽になんてご謙遜だね。 
この鉢は古伊万里じゃないのかい?こっちは真葛(まくず)さんだろ?」
「驚いた。本当にお詳しいんですね?」
「なに、私の祖父も盆栽が趣味で時々付き合わされているんだけど、
そうこうしているうちに樹鉢にも目が肥えただけのことだよ」
「あはは、僕も同じです。今は祖父の代からの出入りの道具屋にいろいろと
教えて貰いながらですけど、それはそれでまた違う楽しみですね」
 
淀みなく奇しくも互いに共通した趣味について語る二人に、
「どういうわけなんだこの腹立たしいほどの老熟な雰囲気は」と、
秀人の趣味に免疫があるはずの秀でさえ思ったのだから、
5人の級友たちが互いに顔を見合わせ、その後、
ただ目の前の数式と格闘する平凡な高校生として、秀人と今後趣味を通して
の友好は期待できないという結論に達したのは簡単だった。
 
「最近は私も少し盆栽に興味が沸いてきてね。まずはこういう小さなものか
ら手掛けてみようかと思っているんだ」
「そうですか。 よろしかったらどれか気に入ったものをお持ちになってください」
「いや、秀人君が折角大切に育てているのにそれは悪いな」
「気になさらないで下さい。この間のお礼です」

秀人が中でも割と育てやすい鉢を手に取り櫻澤に勧めると、
彼はそれをさも秀人の手から取り落とすことを怖れるかのように、
秀人の手ごと包み込むようもらい受けた。
 
対面キッチンの向こうで昼食の準備をしながらナナが、
秀人と秀人の新しい盆栽仲間のその気遣うような所作を
満足そうに眺めている。

この後、怒りの持って行きようがない秀は、どうして長瀞くんだりまで行くことに
なったのだか全く記憶がない。
 

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