うたかた

注:『海辺』にある特定のイメージをお持ちの方は読まれないほうがいいです
  栄仁不思議ワールドに免疫のある方だけお読みください

 ちなみに濡れ場はありません

hydeが予約してきた宿は葉山の海沿いにある洋館だった。
戦前に建てられた瀟洒な建物で、
建築学的に見ても価値のあるものとされていた。
メイクの女性に一度は恋人と泊ってみるべきだとそそのかされ、
いつものごとくhydeはすっかりその気になり、
サクラの都合も聞かずに勝手に一人で宿泊予約取り付けてきた。
 
半ば無理やり連れてこられたサクラは、
赤い西洋瓦葺の屋根に1階部分は煉瓦貼り、2階は白い荒壁、
アーチ型の窓にはステンドグラスという
完璧女性好みのスパニッシュ様式なこの洋館に、
「本当にここに泊まるのか?」と、
洋館を前に隣で感動しているhydeに聞きヒンシュクを買った。
 
バルコニー風の玄関奥にただずむ分厚い樫の木の扉を開ける。
「ようこそ」
かつて住居として存在していた洋館に
後から造りつけたのであろうことは明白なフロントの中で、
白髪の男性が頭を垂れていた。
背が高く、品の漂う老人である。
ピカピカに磨き上げられた玄関ホールの床を進み、
櫻の一枚板のカウンターへ向かう。
 
「お連れさまのお名前とご一緒にこちらにご記名を....」
 
言いかけ老人はサクラを見て、はっと息を呑んだようであった。
正体が分かったのかとも思ったのだが、その後の彼の平常振りを見ると
こちらの思い違いであったのだろう。
そこの辺りはメイクの女性に探りを入れて貰っている。
この洋館は老夫婦二人の経営の為、
必然的に宿泊客数も少なくせざるを得ない。
連休やサマーシーズンなら兎も角、今日のようなシーズンオフの厳冬に
海辺の洋館にわざわざ泊まりに来る客など余程な訳有りだろう。
そして老夫婦はこよなくクラッシックを愛しているらしい。
それに、せめてこの館にいる間くらいは憂き世ごとから離れてもらおうと、
リビングに新聞や古くさいラヂオがあるだけで、
テレビなどはどの部屋にも置いてはいないのだ。
 
つまり、hydeやサクラの存在からは、
かなり離れた距離に位置する人たちなのである。
 
玄関ホールを抜け左に位置する扉に通されると大広間となっていた。
正面には海へと続くテラス。
左にはベイウインドウに沿って腰掛けが作られ、
その窓に外からも見えた「受胎告知」のステンドグラスがはめられている。
右手をみると廻り階段があった。
その螺旋の中央にも美しいステンドグラスが装飾された支柱が立っていた。
支柱にはイエス生誕から再生までが緻密に再現されており、
階段を昇るにつれ360度で楽しむことができるようになっていた。
泊まる部屋はこの階段を昇った2階となる。
階段の向こうにはマントルビース、その向こうの扉は食堂に続いている。
マントルピースには火が入っていなかったのだが、不思議なことに洋館は
玄関に入ったときからぼんやりと暖かかった。
見た目は古いが、設備はセントラルヒーティングにでもなっているのだろう。
 
綺麗で可愛くてロマンチックなものが大好きなhydeは、
一遍にこの洋館の雰囲気に堕ちた。
 
「さあ、お部屋へご案内いたしましょう。 今日は他にお客様もいらっしゃいません。
2階はお客様専用ですのでお部屋をどのようにお使いいただいても構いません。
どうぞお好きなお部屋をお好きなだけお使いくださいませ」
 
2階へと廻り階段を昇ろうとした時、不意に食堂の扉が開き、
中から二人分の白いリネンを抱えた老女が現れた。
小柄でふくよかな、細い金縁眼鏡のよく似合う優しそうな女性だ。
 
老人は階段に掛けた足をおろし、彼女のことを紹介しようと二人に向き直った。
紹介されなくとも察しはつく。この洋館には従業員は二人しかいない。
だが、彼が口を開く前に彼女が「まぁっ!」と大きな声を上げた。
何かにとても驚いたという表情だ。
抱えていたリネンがバサッという音を出して彼女の足下に落ちた。
 
「明仁ぼっちゃまっ! まあまあまあ〜〜〜〜!」
 
老女は足早にサクラに駆け寄ると、その手を取り尚も続けた。
 
「明仁ぼっちゃま、シズですよ。 シズエです。
こんなにご立派になられて。お久しぶりです、よくお越しくださいました」
 
明らかに人違いなのだが、シズエというこの老女の剣幕に押され、
サクラもhydeもどう応えていいのか分からずにいた。
「この人は明仁様じゃないですよ」
老人が慌ててサクラと老女の間に入り、
引きずるようにシズエを食堂へと連れて行くまで、
サクラはシズエに抱きつかれ、揺さぶられた。
hydeはサクラの後ろに隠れて事の成り行きを黙って見ていた。
 
「今晩のお夕食はシズが腕によりを掛けて明仁ぼっちゃまの
好物をおつくりいたします。 夏子お嬢様も楽しみになさっていてください」
食堂へと連れて行かれる間際に、シズエは嬉しそうな目でサクラにそう言った。