「いやいや、大変にお見苦しいところをお見せしてしまいました。
どうぞお許し下さい」
廻り階段を昇り、ホール右の寝室へと通された二人に、
老人は深く頭を垂れ謝った。
クィーンサイズの天蓋つきのベッドにマホガニーの丸テーブル。
深緑のゴブラン織りのソファーセット。
扉が二つついており、ひとつは書斎へ、ひとつは化粧室へと繋がっていた。
調度品を見て女性が使用していた部屋だと分かった。
「妻のあの様子では、事の次第を説明しなければ納得されますまい。
よろしければこのまま何も知らなかったこととして、
ご宿泊をキャンセルという形にさせていただいてもかまいませんのですが」
じゃぁ、と言いかけたサクラをhydeが制した。
折角何ヶ月も前からスケジュールを調整し、根回しを繰り返してここに来た。
多少のことで貴重な休暇を諦めるなんて我慢ならない。
あの老女としばらくの間付き合うのは気が重いが、
事情を知っていればそれなりの対処のしようもあるだろう。
老人は「そうですか」と、諦め顔で話し始めた。
洋館は、かつての旧財閥が夏の別荘にと戦前の葉山に建てたもので
松輝荘と呼ばれていた。
1941年の開戦後、一家は戦火を逃れ松輝荘に移り住んだ。
老夫婦はその当時からの使用人であった。
明仁という人物は一家の親戚の者で、よく松輝荘を訪れていたらしい。
「あのぉ〜、『かこお嬢様』ってゆーのは?」
hydeは恐る恐る聞いてみた。
さっき老女が言った「夏子お嬢様も楽しみになさっていてください」という台詞。
どう考えてもあの場でそう言われる該当者は自分しかいないだろう。
「夏子(かこ)お嬢様というのは、こちらの館主であった方の一人娘様です」
明朗快活で夏の陽射しのように情熱的な女性だったらしい。
「明仁さんと夏子さんというのは...」
「許婚でいらっしゃいました」
「親戚同士だったんですよね?」
「昔の財閥間じゃ、そんなことよくあったことなんじゃねーのか?」
「へぇ〜、そうなんですか明仁ぼっちゃま」
老人は胸ポケットからパスケースに入った写真を見せてくれた。
驚いたことにそこには軍服で短髪のセピア色のサクラがいた。
こうなると夏子お嬢様にも興味が湧く。
hydeのことをシズエがそう呼ぶだけの理由があるのだろうと期待したのだが、
そんな巧い話などあるわけがない。
写真はないが、肖像画なら隣の書斎にあると言われ見に行った。
が、確かに美人ではあるがhydeと似てなどはいなかった。
戦時中16歳と17歳だった二人は、戦争が終われば結ばれる予定であった。
だが戦局が厳しくなり、今まで戦地へ息子を行かせることを権力で
免れていた明仁の両親も、世間体を考えるとそういうわけにも行かなくなった。
ならばと、アメリカ軍の侵攻はまだ先と考えられていたサイパン島へ
形だけのつもりで明仁を赴かせたのだ。
両親はすぐに明仁を呼び戻すつもりでいたらしい。
「結果はご存じのとおり、B29の完成に成功したアメリカ軍が、
当時の日本軍の予想に反してサイパン島へ侵攻し、
ひと月も経たぬ間に戦死者・自決者合わせ約3万の日本兵とともに、
サイパン島の日本軍は壊滅しました」
サイパンの日本軍玉砕の報を聞いた夏子は高熱を出し、
熱が下がった時には両脚が動かなくなっていた。
それ以降、彼女は車椅子での生活を余儀なくされた。
「本当に気性の激しいお嬢様でいらっしゃったのですが、
心根もずいぶんとお優しい方でございました。
明仁様とよく遊ばれた海岸へ私がおぶっていく度に、
私のことを気遣ってくださいました」
「今はどうされているんですか?」
興味本位で聞いてしまったhydeに、一瞬顔を曇らせた老人に気がつき
サクラは「立ち入ったことを聞いてすみません」と謝った。
「いえ、かまいません」
老人は話を続けた。
「夏子様は海辺に座り太平洋の彼方を眺めながらよく仰っておりました」
こんな動かない脚。
いっそのこと人魚のように魚の尻尾にでもなってしまえばいいのに。
そうすれば海を渡って、明仁さんがいる処まで泳いでいけるのに。
「そうして冬の日、海岸で海をみていらっしゃった夏子様が私に、
寒いのでブランケットを持ってきてと頼まれたのです。
私が海辺に戻ってきたときには、夏子様が座られていた椅子だけが残り、
夏子様のお姿はどこにもございませんでした。
歩けもしない夏子様が遠浅な海に入られたとは到底思えないのですが。
・・・・・・・・・・・・。
お二人とも、まるで海に打ち寄せるうたかたのように儚い人生でした」
以来、使用人でありながら夏子に姉妹のようにしてもらっていたシズエは、
普段そうでもないのだが、時々過去と現在が混濁するようになってしまい、
私はなかなか洋館から海へと行くことができなくなってしまいましたと、
老人は締めくくった。