「人魚だなんてあんな話、聞かなきゃよかった」
老人が部屋から出ていくと、hydeはベッドにうつ伏せに倒れ込んで呟いた。
「人魚姫は最後王子様と結婚して幸せになるんだろ?」
「それはネズミーランドの捏造」
「そうだっけ?」
「ほんまの人魚姫は、王子様に会うために美しい声と引き替えに
悪い魔女から脚を貰うんや」
結局王子様との恋は実らなかった。
恋が実らなければ人魚姫は魔女との約束通り、海の泡となって死んでしまう。
人魚姫の姉たちは、自分たちの髪と引き替えに魔女から貰った短剣で
王子を殺せと姫に言った。そうすれば海の泡になることはない。
だが、愛しい王子を殺すことのできない人魚姫は自ら海に身を投じ、
うたかたとなって消えてしまう。
「そんなやりきれへん話なんよ」
これからシズエが支度した夕食を食べるとき、再び「明仁と夏子」に
されたらどうしようかとhdyeはぼやいた。
「夏子お嬢様が使っていた部屋でやーらしいこともできないしなぁー」
「さすが、明仁ぼっちゃまは神経が繊細でいらっしゃいますね」
そんなことで笑いながらも、ベッドで寝転ぶhydeに覆いかぶさると、
その衣服の下へとサクラは手をまさぐり入れてくる。
息が乱れ始めたhydeが、やっぱり明日の宿泊はキャンセルにしようと
思ったところで夕食だと呼ばれた。
結局心配していたことは杞憂に終わり、シズエは食事が終わるまで二人のことを
「明仁ぼっちゃま」とも「夏子(かこ)お嬢様」とも呼ばなかった。
そればかりか彼女の用意した夕食はどれもおいしく、
二人は久しぶりにゆっくりと話をしながら食事の時間を楽しんだ。
夜は夜で、上質なワインと洋館というシチュエーションに気持ちよく酔ったhydeに、
サクラはいい思いをさせて貰った。
が、hydeの杞憂は翌日、hydeではなくサクラに激しく襲いかかった。
朝、隣にあるはずの温もりが消えていることに気付いたサクラは、
隣接されている化粧室のその奥にある浴室をまず覗いた。
床のタイルにはシャワーが使われたことを示す暖かさが仄かに残っていた。
浴室にhydeの姿を見つけることができなかったサクラは、
そのまま階下へと降りていった。
階下はやはりぼんやりと暖かく、
どこからかヴゥ・・・・・ンという機械音が聞こえている。
大広間に行くと食堂から話し声がした。
もうひとつ扉を開け食堂に入ると、大広間と同じ作りのベイウィンドウの腰掛けに
ティーカップを持ったhydeとシズエが腰掛け楽しそうに話をしていた。
あんなにシズさんのことを心配していたのは何だったんだ。
そう思いながらhydeに声を掛けようとして、サクラはギョッとした。
「あら、おはようございます、明仁ぼちゃま」
「おはよう明仁さん」
シズエだけでなく、朝からhydeにまで明仁ぼっちゃま呼ばわりをされた。
しかも何気に二人ともしっくりきている。
傍らにいた老人に目を向けると、申し訳なさそうに頭を垂れた。
どういうことなのか大方察しがついたのだが、
どうしてこんな茶番に自分が付き合わなくっちゃならないんだと
サクラは天を仰いだ。
「明仁さんったらお寝坊だから、夏子は退屈でしたのよ。
朝食が終わったら久しぶりに海を散歩しません?」
デザートのホームメードヨーグルトを食べながらhydeはサクラに言った。
見ると左手でスプーンを持っている。
「あれ、左手で食べにくくないのか?」
聞かれたhydeがきょとんとしていると、シズエが言った。
「明仁ぼっちゃま、夏子お嬢様が左利きだということも忘れるほど
長い間お会いになってないなんて嘆かわしい!」
勘弁してくれよと小声で呟くサクラにhydeはくすくす笑った。