結局食後の散歩には、
「婚前の男女が明るいうちとはいえ、二人きりで外を歩かれるなど
お家の恥でございます」
と、時代錯誤も甚だしいことを言い出したシズエもついてくることになった。
「シズさんったら考えすぎよ」
hydeはサクラの腕にまとわりつき明るく笑った。
それじゃ夕べ俺たちがやっちゃったことなんか、
考えすぎじゃなくて考えられないぞ。
恥どころの騒ぎじゃないぞ。
切腹ものだぞ。
サクラもこれには笑わざるを得なかった。
「さあ、じゃ行きましょうか。 正太郎もいらっしゃいな」
傍らでその様子を伺っていた老人はhydeに突然言われ驚いたようだが、
腹をくくり大人しく一向についてきた。
正太郎さんと言うのか。
こういう時のhydeは徹底しているなとサクラは半分感心し、半分呆れた。
老夫婦と夏子お嬢様に成りきったhydeを引き連れての海辺の散歩は、
なんだかおかしな気分だった。
成りきりhydeは、サクラと腕を組み、肩に頭を預け、
歩みもゆっくりで(それはいつものことなのだが)優雅に、そして
時々サクラのことをうっとりとした瞳で見上げたりしていた。
茶番だと思いながらたまにはこういうhydeもいいなと
サクラは思ったりもした。
しばらくサクラと腕組をし歩いたhydeは、途中、
海からの風に身を晒しながら立ち止まると後ろを歩く老人に振り向いて言った。
「正太郎、寒いからブランケットを持って来てくれないかしら?」
「あぁ・・・・夏子お嬢様」
hydeの言葉に老人は一度両手で顔を覆い、
それでもどこか重い足取りで砂浜を踏みながら、もと来た道を戻っていった。
昨日洋館に来た時に老人から聞かされたのと同じ夏子の台詞を言うhydeに、
いくらなんでもやりすぎだろうと
サクラは釘を刺すつもりでその顔を見下ろした。
hydeは葉山の海のずっと遠くを目を細めながら眺めていた。
その姿を見て、シズエがサクラに言った。
「夏子お嬢様は、明仁ぼっちゃまがお戻りになられる前にはよくこうやって
海をご覧になっていらっしゃったものです」
シズエの言葉に振り返って彼女を見ると、シズエもhyde同様どこか懐かしむような
曖昧な表情で海を眺めていた。
サクラは、この二人だけが同じ時間を共有し、自分だけが時空の溝に
取り残されているような気持の悪い感覚がした。
吹き付ける風は強く、身体に波しぶきが当たる。
しかし、そんな感覚も感じないほどに
ぼんやりとした時間にのみ込まれそうだった。
そうしてどれくらいそこに3人で立っていたのか、
気がつけば老人がブランケットを持って戻ってきていた。
風が強い。
hydeに渡そうとしているブランケットを、老人が風に飛ばされないように
強く握っているのがわかる。
しかし、老人から手渡された直後、hydeはブランケットから手を離した。
ブランケットは一瞬大きく膨れ上がり、高く舞い上がると風のままにふかれ、
横に広がる砂浜を滑るように舞って行った。
「あらまぁっ!」
シズエがどこかはしゃいだような声を上げる。
老人は慌ててブランケットを追いかけた。
サクラも同じく、ブランケットの行方を見ようと目を彷徨わせた。
だが、hydeは両手をサクラの下方から伸ばすと、サクラの両頬を包み込んだ。
いきなりのことに驚いたサクラがhydeに目を合わせると、hydeはにこりと微笑んだ。
飛んで行ったブランケットに大騒ぎをしている老夫婦を尻目に、
いつもと変わらずのん気でちょっと悪戯好きなhydeが可笑しくて、
サクラも思わず微笑んだ。
hydeはサクラが微笑むと、今度は背伸びをし嬉しそうにキスをした。
海辺でキスする二人にブランケットを追いかける老夫婦は全く気付かない。
流石に気の毒になり、老夫婦を手伝おうとサクラがhydeから離れた途端、
hydeはすとんと足から崩れ落ちた。
「あぁ、行っちゃった」
座り込んだまま海の向こうを見てそう呟くhydeに、
「何が?」とサクラは聞き返した。
「ブランケット」
hydeは笑いながら答えた。
その後、散歩の前にシズエに無理やり履かせられたという
夏子お嬢様のお散歩靴が合わなくて痛いという理由で、
hydeはサクラにおんぶされながら洋館へと戻った。
砂浜でへたり込んでから、頑として自分で起き上がろうともしないhydeに
老夫婦の手前叱り飛ばすこともできないサクラは、仕方なくhydeをおぶった。
が、洋館に戻ると何事もなかったようにさっさと部屋へと上がって行くと、
お嬢様ごっこにすっかり飽きたhydeは、
もう一泊する予定だったのをキャンセルし東京へと戻ると言った。
シズエはサクラが気の毒に思うほど残念がったが、
正太郎は来た時と同じように、「ありがとうございました」と
恭しく頭を垂れるだけであった。
その帰路の車中で、
どうやら自分はこれこれこういう不可思議な体験をしていたようなんだけれども、
サクラ、お前気づいてた?と、hydeに聞かれた。
ついでに言っとくと、あの時俺の両脚は全く動かなくて、
本当はめっちゃくちゃ焦っとったんやけど、知らんかったやろ?
全く思ってもいなかったhydeの話にサクラは驚き、
「えぇーーー! じゃ、俺があの時キスしたのはお嬢様かよっ!」
と、大声で叫んだ拍子にハンドルを切り損ね、危うく事故るところだった。