In a white room


最初何も無かった部屋に、
最近の僕は彼が出入する扉だけは
見えるようになっていた。
僕が知らない扉の向こうの彼の世界。
「一緒に行ってみない?」と、また彼に言われるのだけど、
別に
そう興味もない。

ここにいても一向に困らないし。何にもまして、僕と彼しかおらず、
何の変化もないこの空間が、僕にはとても安心できて居心地の
いいものへとなっていたからだ。

「でも、ずっとここには居られないんだよ」

と彼は言うけど、僕にはそんなふうには到底思えない。
だって、何もかも上手くいってるじゃないか。毎日困ったことも、
辛いことも起こらない。
君と僕だって、笑ったり話したり好きなことをして、毎日楽しくやってるじゃないか。

「でも・・」

彼がまだ続けようとするから、僕はそれ以上聞きたくなくて言っ
てしまった。

「もう出てってよ。君にはあの扉の向こうにもっと楽しいことが
 待っているんだろ?それと同じに、僕はここが楽しいし、
 とって
も気に入ってるんだ。向こうに行こうなんて少しも思わない。
 君もここに来たくないのなら、もう来なくてもいいよ」
 
全部嘘っぱちだった。
彼がここに来なくなったら、僕は一日この何もない空間でどう過ごせばいいのか。
その時は、扉の向こうに彼を探しに行くかもしれない。
でも、そこに何があるのか、そこで彼がどう暮らしているのかなんて、
何故だか分からないけど知りたくもないんだ。
だから、

「ごめんね。来たくないなんて思ってないよ。だから、また明日
ね」

そう彼が笑って言ってくれた時はすごくホッとした。
 

次の日、彼は僕が目覚めても部屋には来なかった。
「また明日ね」と彼が言ったのだから、彼は絶対に来るんだと自分に言い聞かせた。
そこで僕は、随分と自分は彼を信じているのだなと驚いた。
 
彼が部屋に入ってくる扉をずっと見ていたけど、
扉はなかなか
開かれようとしない。
手のつけなかった朝食が、いつの間にか昼食と替えられていても彼は現れない。

僕は大声で叫びそうになった。
彼の名前を。
名前を・・・・
でも、彼の名前を僕は思い出せないままだ。
それがこんなに苦しいことだなんて、ここに来て初めて知った。
 
何時までも開かない扉を見ていても仕方が無い。
僕はベッドに潜り込んで、
ドアノブを掴んで扉を開けてしまいた
くなる衝動を抑え込む事にした。
ベッドの中は暖かく、白いリネンに明かりが差し込んで、
目の
前はほんのりクリーム色。
ずっとこうしていてもいいかなと思ってしまうほど気持ちが安らぐ。
 
「遅くなってごめんね」
 
不意に頭の上で彼の声がした。
僕はベッドから顔だけ出し、声の主の確認をした。
彼が立っていた。
すごく嬉しかったけど、それを顔に出すのは面倒だったから、
ベッドから這い出すことで自分の気持ちを表した。
 
彼は「ふぅ」と、一つ溜息をつくと、
「今日はプレゼントを持ってきたんだ」
と言って、右手を僕の目の高さまで上げた。
 
「ほら」

彼が掲げたものは鳥かごだった。
中には一羽の白い鳥が入っていた。

「可愛いだろ? 君には生に対する刺激が必要だって言われ
たんだ。
 ほら、真っ白で、羽根なんか広げると凄く綺麗なんだよ。
 君も絶対に気に入るだろうと思って」
 
「君も」ということは、彼が気に入ってること前提なんだ、たぶん。
彼が気に入ってるならいいか、なんて思った。
「名前は君が決めなよ。君の鳥なんだから」と言われて、僕の
鳥と言われても勝手に持ってきたのはそっちだろうと思った。
でも、折角だから名前を考えてみた。
 
思いつかない。
 
「白いからシロにする」
 
彼がぽかんと口を開けて僕を見ている。
何だろう? 変なこと
でも言ったかな?
 
「じゃ、黒い鳥だったら?」
「たぶんクロ」
 
なぜか大受けした。 目の前には腹を抱えて大爆笑中の彼がいる。
「らしいよ! らしいっ! アーハハハッ! イテテテテテ・・・・」
 
「緑の鳥ならミドリ。 ピンクの鳥ならモモ。 オレンジの鳥ならダイ」
「も・・・も、いいから! ククク、フフ、ハハハハッ!」
 
その日の夕食はとても楽しかった。
彼は何度も目じりに涙を浮かべて、食事中に思い出し笑いを
していた。


次の日から、僕は彼が来る前に起きて、鳥かごに掛かった布を取り除き、
彼より先にシロに「おはよう」を言う。
その後彼がやって来て、僕とシロに「おはよう」と言う。
そして、彼と一緒にシロのエサをやり、水を取り替え、籠の掃除をし、
窓辺に
移動させる。

「鳥籠を窓の近くに下げて、シロが外を見れるようにして
あげよう」

彼にそう言われて、僕は初めてこの部屋に窓があることに気がついた。
 
鳥篭と鳥篭の中の真っ白なシロと
窓の外の明るい日差しに映え
る濃い緑葉の風景が絵のようだと思った。
そう彼に言うと、

「素敵だね。 シロも外の緑葉も生き生きとした
魂の息吹を感じるよ」

と、まるで詩人のようなことを言った。
 
 
 
そして、本を読んだり書き物をしたり、時々彼が歌を口ずさんだり、話をしたり。
夕食を二人で食べて、彼はお祈りをして、
十字架に
キス、僕にキス、シロにキス。
そんな静かな日が過ぎていく。
 
 
 
ある日、彼が部屋を出る前に、どうしてお祈りをするのかと聞いてみた。
 
「君は死についてどう思う?」 
 
そう聞かれた。
 
「分からないし、実感がない」
 
それが僕の答えだった。
死だけじゃない。実際、今の僕にはいろんなことの実感がないのだから、
死についてなんて考えもしない。 
反対に彼はどう思うのか聞いてみた。
 
「怖いよ。前はそんなこと思わなかったけど、今はちょっと怖いかな?」
 
だから祈りを捧げるということなのだろうか?
もう一度聞こうとしたら、
「また明日ね」
彼はゆっくり微笑んで部屋を出て行った。
その時の彼がとても優雅で、
それに彼がすごく綺麗なのだという
ことに僕は気がついた。
 
その夜は何だか寝付けなかった。
いろんな表情の彼を思い出し、それは僕の胸を悩ませた。

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